カイコ幼虫を実験モデル動物とした
創薬基盤の確立に関する研究

微生物薬品化学教室教授 関水和久

 私たちが行っている、カイコ幼虫を用いた研究について、以下に簡単に紹介したいと思います。具体的な疾患として私たちは、細菌感染症、真菌感染症、ウイルス感染症、などに注目し、これらの病態モデルをカイコ幼虫で作出し、新規医薬品の探索方法の確立に努めています。
 医薬品の探索において動物実験は必要不可欠です。なぜなら、試験管内で病原体の増殖や生化学的反応を阻害する候補化合物の大部分は、実際のヒトの病気の治療には役立たないからです。その理由は、多くの化合物について体内動態に問題があるためです。化合物の体内動態は、「吸収」「分布」「代謝」「排泄」の4つの要素で規定されます。試験管内でどんなに効力を発揮しても、これらの点に問題がある化合物は、治療に使うことができません。また、候補となる化合物の毒性もきわめて大切な問題です。これらの問題を解決するために、従来はマウスやラット、ウサギ、イヌ、ネコ、サルなどの哺乳動物による病態モデルが作出され、候補となる化合物の治療効果が試験されてきました。しかしながら、哺乳動物を実験に供することは、費用がかさむばかりでなく、倫理的な問題があると指摘されています。後者の問題は、現在日本ではあまり議論されていませんが、欧米では研究を進める上に深刻な障害となっています。
 私たちは、カイコ幼虫を哺乳動物に代替する薬学領域における実験材料とすることを提案しています。日本には長い養蚕業の歴史があり、カイコ幼虫を飼育する方法が確立されています。また、さまざまなカイコの遺伝系統が確立されています。さらに、カイコ幼虫は比較的大型であるため、定量的に病原体や薬物を注射することが容易である、という長所を持っています。さらに、腸や肝臓(昆虫では脂肪体)に相当する薬物動態に関わる臓器を摘出し、薬理学的実験に供することができます。カイコ幼虫が持つこれらの実験動物としての特長は、最近代替動物として注目され始めたショウジョウバエや線虫にはない点です。
 カイコ幼虫を医薬品の治療効果を評価するための代替動物として使うためには、カイコ幼虫での結果がマウスなどの哺乳動物での結果と一致することを確かめる必要があります。私たちの研究により、カイコ幼虫の細菌感染症モデルにおける抗生物質の治療有効量は、哺乳動物での結果と殆ど一致していることが分かりました(Hamamoto et al. Antimicro. Agents Chemother. 48, 774-779 (2004))。また、抗生物質の経口投与による治療効果の有無についても、カイコ幼虫と哺乳動物で一致した結果が得られています。さらに、カイコ幼虫においてもP450による薬物代謝や抱合反応が起こることが分かってきました。したがって、カイコ幼虫においても、哺乳動物でみられる薬物の体内動態があるのです。それゆえ私たちは、医薬品の探索において、カイコ幼虫を用いた医薬品の治療効果を評価することが、哺乳動物を用いた試験の前段階として有効であることを提案しています。
 細菌感染モデルにおいて私たちは、主に黄色ブドウ球菌を用いた研究をしています。黄色ブドウ球菌は日和見感染症の原因菌であり、敗血症などヒトを死にいたらしめる病気を引き起こします。最近、多剤耐性となったMRSAと呼ばれる黄色ブドウ球菌が病院内で感染症を引き起こすことが問題となっています。私たちは、カイコ幼虫の感染モデルを用いて、黄色ブドウ球菌の病原性発現の分子機構を研究しています(Kaito et al. Mol. Microbiol. 56, 34-44 (2005))。この研究は、黄色ブドウ球菌による感染症治療薬の開発に役立つと考えられます。また私たちは、病原性真菌によるカイコ幼虫の感染モデルを用いた研究をおこなっています。真菌は細菌と異なり、ヒトと同じ真核細胞ですので、副作用がないよい薬を見つけるのは容易ではありません。この点について、私たちは貢献したいと考えています。
 さらに私たちは、カイコ幼虫のバキュロウイルス感染モデルを用いて、ヒトのウイルス感染症治療薬の評価を行うという研究をしております。ガンシクロビルやホスカルネットは、ヘルペスウイルスやサイトメガロウイルスなどのDNAウイルス感染症治療薬としてヒトの臨床で使われていますが、これらがカイコ幼虫のバキュロウイルスによる感染死に対して、治療効果を示すことが分かりました。私たちは、このカイコ幼虫の系が、ヒトのウイルス感染に役立つ新規治療薬の探索に有用であることを期待しています。
 先に述べたように、カイコ幼虫においては、哺乳動物と共通した薬物の体内動態がみられます。これまで、カイコ幼虫を医薬品の治療効果を評価する実験モデルとして使用された研究例がないため、カイコ幼虫における薬物動態の研究は殆どなされていません。この点を解明することは、私たちにとって重要な課題の一つです。
   カイコ幼虫には、脳や神経、心臓、筋肉、肝臓、腎臓、などのヒトの様々な臓器に相当する臓器、器官がそろっています。したがって、ヒトがかかるあらゆる疾患のモデルを、カイコ幼虫を用いて作出することが可能であると考えられます。
 私たち微生物薬品化学教室ではこれまで、黄色ブドウ球菌におけるDNA複製の分子機構や、真核細胞の転写因子に関する基礎的研究に取り組んできました。これからは、これらの基礎生物学分野での研究業績を基礎として、広く薬学領域に貢献する分野の開拓に取り組んで行きたいと考えています。若い諸君が私たちの研究に参加してくれることを心から期待しています。