研究の概要

 

 

 生命科学の飛躍的な進展に伴い、薬学領域においても、創薬の対象となるヒトの疾病そのものを研究対象に含め、病的過程のメカニズムの解明を通じて、治療薬のターゲットを見出す方向性が重要となりつつある。

 当研究室では、アルツハイマー病、パーキンソン病などの老年性神経疾患を主たる対象として、様々な角度からその病態解明へのアプローチを試みている。高度に分化し、複雑な形態を持つ神経系の機能や病的変化を研究する上で、形態学的手法は必須の研究手段である。免疫細胞化学、超微細形態学を含む形態学的手法を中心に、生化学、分子生物学などの関連分野の手法を取り入れ、難治性神経疾患の病態・病因の解明と治療薬開発を目標として研究を進めている。



研究内容

アルツハイマー病脳の細胞骨格異常に関する免疫細胞化学的研究

アルツハイマー病脳におけるbアミロイド蓄積機序に関する研究

家族性アルツハイマー病原因遺伝子presenilinに関する研究

パーキンソン病及び汎発性Lewy小体病脳神経細胞に出現するLewy小体の単離精製法の確立と、Lewy小体の構成成分に関する研究

その他



1. アルツハイマー病脳の細胞骨格異常に関する免疫細胞化学的研究

 講座開設当初より、アルツハイマー病を始めとする神経変性疾患を主な研究対象に定め、まず病理形態学的変化を、背在する物質的・生化学的変化と可能な限り結びつけて理解することを目標とした
 アルツハイマー脳においては神経細胞内に神経原線維変化(PHF)、細胞外にアミロイド物質が蓄積することが特徴であり、これらが研究上の重要な手がかりとなっている。まずPHF及びその構成成分である細胞骨格蛋白タウに関する研究に着手した。当時PHFとして神経細胞内に蓄積するタウ蛋白は過剰なリン酸化を受けることが解明されつつあった。岩坪は寄付講座着任直前に、PHFが神経突起内にneuropil threadsと呼ばれる細い線維束として多数形成され、蓄積・伸長することを見出していた(Iwatsubo, T. et al. Am J Pathol 140:277-282, 1992)。さらに研究対象をアルツハイマー病以外の変性疾患及び神経細胞以外のグリア細胞に広げ、これらの組織に見られるPHF様の線維性蓄積物にもPHFのタウと同質のリン酸化が生じていることを明らかにし、脳細胞変性に伴うリン酸化タウ蓄積の普遍性を示した(業績原著3;以下同様)。タウ蛋白は主に軸索の微小管に付随する蛋白と考えられてきたが、リン酸化状態と細胞内局在との関係には不明の点が残されていた。田代は幼若及び成熟ラット脳をリン酸化タウ特異抗体を用いて免疫細胞化学的に検討し、幼若脳のみならず成熟脳においても、リン酸化タウが神経細胞体・樹状突起に局在することを明らかにし、リン酸化がタウの細胞内局在の決定因子の一つであることを示した(業績34)。


 


2. アルツハイマー病脳におけるbアミロイド蓄積機序に関する研究

 アルツハイマー病脳に蓄積するアミロイドは、b蛋白(Ab)と呼ばれるアミノ酸数40〜42残基のポリペプチドが重合することにより形成される。bアミロイド形成は、アルツハイマー病に特異的であり、かつ最初期から見られる病理学的変化であること、家族性アルツハイマー病の一部にb蛋白前駆体(bAPP)の点突然変異に起因する家系が発見されたことなどから、アルツハイマー病の単なる結果的産物ではなく、その原因に深い関連を有する病変と考えられてきた。しかし上記のカルボキシ末端の相異(40残基目まで伸びたAb40と42残基まで伸びたAb42の混在)の意義は明らかでなかった。1992年にAbがアルツハイマー病脳に特異な産物ではなく、正常細胞から分泌されることが明らかにされ、さらにその主成分がAb40であることが示されるに及び、アルツハイマー脳に蓄積するアミロイドは、正常に分泌されたAb40から形成されるものとの予測が広がった。
 岩坪はこのb蛋白カルボキシ末端の多様性に着目し、武田薬品工業開拓一研の鈴木、尾高との共同研究を進め、Ab40Ab42のカルボキシ末端を区別するペプチド断端特異抗体を患者脳組織の免疫細胞化学的解析に応用した。その結果びまん性老人斑の形をとって最初期から蓄積し、その後も老人斑アミロイドの主要分子種として蓄積してゆくのはAb40ではなくAb42であることを明らかにした(業績1)。また年齢に応じてアルツハイマー病の進行過程が再現されるダウン症脳においても、初期にAb42が出現し、Ab40は遅れて蓄積することを確認した(業績6)。これらの知見は、同時期に米国の有機化学者Lansburyらによって提唱されていた、Ab42Ab40に比して自己凝集能が高く、老人斑として優先的に蓄積する分子種であろうとするin vitro実験に基づいた予測によく符合するものであり、アルツハイマー病におけるAbカルボキシ末端の重要性に注目を喚起するものであった。老人斑アミロイドはアルツハイマー病以外でも、痴呆のない「正常」老人脳にもしばしば観察されることが知られていたが、蓄積アミロイドの性状の異同は明らかでなかった。福元は多数の非痴呆老人脳をアルツハイマー脳と比較検討し、非痴呆老人脳においてもAb42優位の傾向が保たれ、むしろAb40の蓄積量が少ないことから、アルツハイマー性変化の初期像に対応する可能性を提起した(業績9)。またこれらの脳でAb40陽性斑にミクログリアの出現頻度が高いことを見出し、両者の関連を想定した(業績10)。さらにMann英国マンチェスター大)との共同研究により、bAPP変異による家族性アルツハイマー病脳に蓄積したbアミロイドの病理学的・画像計量的検討を行った(業績13)。
 脳アミロイドとして蓄積したAbにはカルボキシ末端のみならずアミノ末端にも特殊な修飾が存在することが予想されてきた。アミノ末端が3番のピログルタミン酸(N3pyroGlu)で始まる分子種が老人斑Abに豊富であることを見出した西道(東京都臨床研)らの成果(業績5,21)を受けて、岩坪はこれらの分子種がびまん性老人斑にも豊富に存在することを免疫組織化学的に示した(業績23)。また細田はこれらの抗体を組み合わせて、修飾Ab分子種を定量するELISA法を確立し、N3pyroGlu-42が老人斑アミロイドの主要分子種であることを示した(業績38)。
 鈴木らの開発したAbカルボキシ末端特異的ELISAの応用範囲はヒト脳アミロイドのみならず、培養細胞の分泌するAb、ヒト体液中のAbなどの微量のAbの測定に威力を発揮した。福元はラット脳からニューロン、各種のグリアを初代培養し、細胞の種類にかかわらず分泌されるAb40Ab42の比率は一定であることを示した(業績37)。小阪はこのELISA系をアルツハイマー病患者血漿中のAb測定に応用し、bAPP717変異を有する家族性アルツハイマー病患者血漿中のAb42比率が上昇していることを実証した。この変異を有するbAPP遺伝子を導入した培養細胞が分泌するAb42の比率が上昇することは既に鈴木らにより証明されていたが(Suzuki, N. et al. Science 264:1336-1340, 1994)、富田は丸山(国立生理学研究所)との共同研究により、このAb42の増加は家族性アルツハイマー病で見出されている3種類のアミノ酸変異に特異的に生じることを示した(業績22)。さらに小阪は荒井(東北大老人科)と共同で、アルツハイマー病患者髄液中Abの大規模な計測評価に着手し、アルツハイマー患者では対照例に比してAb42が減少する傾向にあることを示した(業績36)。
 これらのAbカルボキシ末端に関する免疫生化学的検討は、次項で述べるpresenilin変異によるアルツハイマー病発症機序の研究や、Leeらを中心に行われた細胞内におけるAb42産生機構の研究(業績35)などへと発展した。


 


3. 家族性アルツハイマー病原因遺伝子presenilinに関する研究

 1995年、長い間謎であった早期発症型家族性アルツハイマー病の原因遺伝子として、新規の膜蛋白をコードするpresenilin1及び2が発見され、アルツハイマー病研究は大きな転機を迎えた。当研究グループでも富田を中心として、丸山(国立生理研)、西道(都臨床研)とpresenilinに関する共同研究を開始し、動物細胞を用いたpresenilin発現系などの構築を急いだ。主としてpresenilin2を中心に検討を進めた結果、培養細胞に発現されたpresenilin2はアミノ、カルボキシ末端の2断片に分解されること、fragmentの大きさは遺伝子導入・発現の様式によって異なることを見出した。
 presenilin変異がいかなる機序によりアルツハイマー病を発症させるのか、ことにこれがbアミロイド蓄積を介するものであるか否かは最大の問題点であった。富田は変異presenilinを導入した培養細胞から分泌されるAb42が顕著に増加することを証明し、bアミロイドの蓄積がpresenilin変異による家族性アルツハイマー病においても重要な病因的意義を有することを確定した。現在変異presenilinおよびその断片がbAPP代謝、特にAbカルボキシ末端の切り出し(g-cleavage)を変化させる機序についての詳細な解析を続けている。これらのpresenilinに関連した研究成果は業績25にまとめられている。
 またこれらの実験系で見出されたbアミロイドに対する影響が、presenilin変異を有する家族性アルツハイマー病患者脳においてどのように反映されているかについて、岩坪はMannマンチェスター大)と共同で、多数の剖検脳を用いた病理学的検討を行った。その結果、Ab42の総蓄積量は実験系での結果に一致して著増しているが、同時にAb40の蓄積も促進されていることが判明した(業績19,24)。
 presenilinに関するさらなる課題は、その正常機能の解明と、bアミロイド蓄積促進以外のアルツハイマー病発症機序に関する検討である。ごく最近presenilinが個体発生において重要な役割を果たすことが示され、当研究室でも徳広らにより培養細胞の神経分化に変異presenilinが及ぼす影響が検討されつつある(痴呆学会)。またpresenilin2とアポトーシスの関連が注目されているが、その機序を厳密に検証するために、inducible vectorを用いたpresenilin発現系を構築中である。

 


 


4. パーキンソン病及び汎発性Lewy小体病脳神経細胞に出現するLewy小体の単離精製法の確立と、Lewy小体の構成成分に関する研究

 上記のごとく、アルツハイマー病研究においては脳内異常蓄積物の単離精製と構成成分の分析が病態の解明に重要な情報をもたらした。アルツハイマー病とならぶ代表的な神経変性疾患であるパーキンソン病においても、一部の変性神経細胞にLewy小体と呼ばれる球状の特徴的な線維性封入体が形成され、その診断の根拠ともなっているが、その出現量が少ないため、生化学的なアプローチはほとんど行われてこなかった。岩坪、山口、馬場らはTrojanowskiLeeペンシルベニア大)、井原(東大医学部脳研病理)らと共同で、大脳皮質にLewy小体が多発し、アルツハイマー病に次いで頻度の高い変性型老年痴呆である汎発性Lewy小体病脳から分別遠心、セルソーター分離などを組み合わせてLewy小体を高度に精製する方法を確立した(業績14)。さらに単離したLewy小体を抗原としてモノクローナル抗体を作製し、Lewy小体の成分を解析した。この結果、Lewy小体にはポリユビキチン化蛋白(業績14,16)、ニューロフィラメントM鎖(業績33)などが含まれることが明らかになった。Lewy小体に対する直接的な生化学的アプローチを軌道に乗せた世界で初めての試みであり、注目を集めている。さらにLewy小体の骨格をなす特徴的なfilamentの構成成分と修飾様式の解明を目標として、免疫化学、蛋白化学的アプローチを進めている(痴呆学会)。

 


 


5. その他

 原田助手、武井助手はそれぞれの在任期間中、医学部解剖学・廣川研究室において、タウ、シナプシン1などの神経系機能分子のノックアウト動物作製・解析の分野において研究を進め、重要な成果を挙げた(Harada, A. et al. Nature 369:488-491, 1994; Takei, Y. et al. J Cell Biol 131:1789-1800, 1995)
 また形態学的手法の応用を試みる薬学部他教室の研究者に対して、病理標本作製、免疫組織化学、電子顕微鏡観察などの支援を行うと同時に共同研究を行った。この活動には主として田代、地家、岩坪が関与し、衛生化学・裁判化学、微生物薬品化学、薬品分析化学、生体異物・免疫化学、薬品作用学、毒性薬理学、薬品代謝化学、薬品製造工学、生理化学、製剤学(順不同)をはじめとする多くの教室との交流が得られた。(文中敬称略)


1997930日現在