東京大学大学院 薬学系研究科
生理化学教室

G蛋白質との出会いから学んだこと:柳の下にドジョウが3匹いた話し

東京大学大学院薬学系研究科 生理化学教室 堅田利明

北大薬学部での4年次卒業研究テーマとして、「百日咳毒素(ワクチン)の作用機構」を研究する機会に 恵まれたのは、今から40年近く前の1973年であった。恩師である宇井理生教授が主宰する当時の薬効学教室 では、ラットの個体を用いて糖代謝のアドレナリン作動性調節に関わる研究が精力的に進められており、 多くの教室員がラットに様々な「侵襲」を与えた時に引き起こされるエピネフリン負荷の応答について、 血中グルコース、乳酸、インスリンや代謝中間体等の変動を指標に検討していた。当時先輩達が進めていた 「侵襲」の中身は、血液のpHを変動させるアシドーシス、アルカローシス、 甲状腺機能の亢進または低下、寒冷暴露あるいは強制運動負荷など、糖代謝との関連から妥当な ものであったと記憶している。しかし、私に与えられたのは「百日咳ワクチン投与」というやや特異なツールであり、 この処理がエピネフリンの血糖上昇作用を消失させるという知見が既にある文献で報告されていたからである。

テーマを頂いた当初は「他と似て非なるもの」という印象をもち、どのような展開になるか些か不安を抱いていた。 何れにしても当時の宇井先生のアプローチは、今風の「特定遺伝子を破壊した」個体を作出する代わりに、 「侵襲」をもって個体に修飾を加え、ホルモン作用を解析しようとしたものと考えられる。「百日咳ワクチン投与」 という「侵襲」は、当初の予想を越えて、長期間にわたりエピネフリン応答に対する 劇的で異様な修飾をラットの個体レベルに与える結果となった。エピネフリンの血糖上昇作用の消失は、 百日咳ワクチン中の因子がインスリン分泌応答を過剰に亢進させたことにあり、ワクチン投与は 実験的糖尿病ラットの 高血糖をも是正した。当時の週刊誌には、百日咳ワクチンから 夢の糖尿病薬が出現!という記事が載り、 世間を騒がしたと記憶している。 百日咳菌の産生するユニークな因子の精製は、共同研究先の科研薬化工(株) で進められ、因子の実体としての百日咳毒素(islet-activating protein: IAP)の解明へと発展した。

その一方で私は毒素の作用機序に興味をもち、in vivoの実験から膵臓還流、単離膵島、 さらに初代培養を用いたin vitroの系へと、個体を切り刻む方向に実験を押し進めた。幸運にも 作用機序に関わる研究がある程度進展し、1979年に「インスリン分泌活性化蛋白質(百日咳毒素) の作用機序に関する研究」で論文博士を提出させて頂いたが、この学位論文では毒素の見掛けの作用として Caイオノフォア説を提唱しており、真のメカニズムの同定までには至らなかった。その後百日咳毒素の より詳細な作用メカニズムを解明したく実験を無細胞系に移し、毒素の作用発現には細胞質内の NADとATPが必須で、毒素にはNADを基質に細胞膜の約41 kDa蛋白質(後に留学先で、 G蛋白質Giのαサブユニットとして同定した)をADPリボシル化する酵素活性が存在する、という正解に達することできた。

一方、ATPは毒素蛋白質に直接結合して、ADPリボシル化の酵素活性を増強した(なお、 ATPが毒素分子を構成するBオリゴマーのS3サブユニットに結合するという知見は、論文としては発表されていない)。 いわゆるA-B型でADPリボシル化の酵素活性をもつ細菌毒素としては、この百日咳毒素がジフテリア、 コレラに続く3番目の例となった。なお、「柳の下にドジョウが3匹いた」という本エッセイの副題は、宇井先生が 当時書かれたある総説での表現を借用させて頂いた。   学位取得でそれなりに一区切りがつき、宇井先生と先生の留学先のボスであったパーク(C.R. Park)博士から、 留学先として当時G蛋白質(Gs)の精製を手掛けていた米国のギルマン(A.G. Gilman)博士の研究室を紹介して頂いた。 これまで生化学的アプローチに対しては素人であったので、蛋白質精製の習得を一つの目標に、 30歳となった1982年に渡米した。ギルマン博士はバージニア大からテキサス大ダラス校の薬理学部門に チェアマンとして招聘され、ラボを移動した直後のことである。ダラスに着いて一通りラボを見学させてもらったが、 その施設の充実ぶりには驚かされた。

ラボの一室に大容量の冷却遠心機と超遠心機がそれぞれ5〜6台配置されていた(後で教えてもらったが、ギルマン博士は これらの機器の充実を条件にダラスに移動したようである)。遺伝子操作による組み替え蛋白質が主流となった現在とは異なり、 精製の出発材料を多量の生体試料に求めた当時においては、日本では望み得ない環境であって太刀打ちできないと実感した。 留学先での研究テーマは、正直なところ、蛋白質の精製が学べれば何でもよいと考えていたが、Gsの精製とその性状解析が一段落しかけていたので、 百日咳毒素の基質となるGiの精製となってしまった。当時は百日咳毒素が未だ市販されておらず、大変貴重なものでありながら 宇井先生がギルマン博士へのギフトとして留学時に持参させてくれたことにもよる。その留学先のポスドク仲間から、 なぜ日本で独自に毒素を用いてGiの精製を手掛けなかったのかと不思議がられ、また帰国後に神戸大の故西塚泰美先生より、 「カモがネギを背負って留学した」とお叱りの言葉を頂戴した。宇井先生は、当時の自分には蛋白質を精製する力量が無かったと、 いつも控えめに返答されたが、その頃自分にもう少し高次の判断力があればノーベル賞の対象となったG蛋白質研究のクレジット先が 少しは変わっていたであろうと、この点は正直なところ今でも後悔している。

  留学先での成果の一つは、これまで生きた細胞で観察した応答(受容体刺激を介する二次メッセンジャーの産生)が、 精製蛋白質の再構成系で再現できるという驚きを体験できたことにある。薬理学的センスで個体・細胞レベルでのアプローチを多用してきた私は、 作用機構を解明する上で生化学的アプローチが如何に有用な手段となり得るかを学んだ。幸いにも留学時代の研究成果は連続する数篇の論文として JBC誌に掲載されたが、これらはデーターの全てを自分で取ってファーストオーサーとなった原著論文約20篇の実質的な最後になった。 帰国予定の数ヶ月前には当初のプロジェクトがほぼ完了したので、新たにG蛋白質αサブユニットの遺伝子クローニングを持ち掛けられたが、 時間的には無理と思い断ってしまった。この仕事は、帰国後に薬効学教室の後輩が手掛けることになったが、私自身に遺伝子操作の 技術が身に付いていないのは、この機会を逸したためと反省している。因みに、残りの期間に私が追及した課題は、 リン酸化によるαサブユニットの機能修飾の可能性であった。現状ではその生理的役割にやや疑問があるものの、 EJB誌に掲載されたリン酸化論文(防衛医大薬理の渡辺教授と共著である)の被引用回数は意外に高く700以上あり、 百日咳毒素によるADPリボシル化反応のPNAS誌論文に次ぐものとなった。

何れにしても、家族と共に過ごした2年間の留学生活は個人的には楽しく刺激的なものであり、帰国に際してギルマン博士から、 「トシ(小生のニックネーム)はアメリカ人以上に米国内を旅行して回った」と皮肉を言われた。   帰国直後の薬効学教室には蛋白質精製用のシステムが全くなかったので、機器購入等で宇井先生に随分とご迷惑をお掛けしたが、 リクエストされたG蛋白質の供給に応える過程で、国内の研究者とも多くの交流ができたことはその後の貴重な財産となった。 日本でG蛋白質研究を再開して間もない1986年に、宇井先生が突然東大薬学部に異動になるという大きな事件が起きた。 路頭に迷うのかと心配したが、幸いにも翌年東工大理学部に助教授として転出できた。道産子(北海道生まれのことをいう)の私にとっては、 住み慣れた札幌を離れることにそれなりの覚悟も必要であった。当時東工大では、理・工に次ぐ第3の学部として生命理工学部の発足準備段階にあり、 私も新学部へ再編成された。東工大では独立ラボの扱いを受けたので、若干35歳にして曲りなりにも一家の主になってしまった。

ラボをセットアップするところから始めて、学生・大学院生を迎えて研究指導の難しさを知り、また研究費の稼ぎ方など様々な面で実に貴重な体験をさせて頂き、 東工大に約7年間在籍した。1993年、ひょんな巡り合わせから、宇井先生の後任として現在の東大・薬学部の生理化学教室を担当することになったが、 早いもので既に18年が経過している。サイエンスにおいてどこまで貢献できているかは甚だ疑問であるが、最近は「他と似て非なるもの」を題材に、 今風の「侵襲」を使って「柳の下にまたドジョウがいるのでは」と、教室員皆で探している。なお紙面の都合から、それらの内容の紹介は別の機会に譲りたい。   以上、G蛋白質との出会いを中心に40年近くに渡る研究生活を脈絡なく記載してしまった。これまでの少ない体験から、私なりに若い研究者に伝えたいことを 以下にまとめたので、意とするところを汲んで頂ければ幸いである。

  1. 先ず多くの人が共通に指摘する点であるが、早い時期に、様々な実験技法の習得を含めて広範な分野に(可能であれば場も変えて)身を置くよう勧めたい。自分の手で実験を遂行し、その結果に対して誰よりも早く一喜一憂できる機会と期間は比較的短いと実感した。分野や研究者が置かれた環境によって差はあるものの、学生・院生を多く抱える研究室では他の役割も増すので、現実的には30歳代までが限度であろう(こうした現状を改善すべきであると考えるが!)。
  2. 実験計画の立案に際しては、可能なかぎりウィンドウを広く、かつ必要に応じて細かく取るよう心掛けること。このためには実験量の増加を強いられるが、隠れた真理を見逃さないために重要な視点である。適切な対照実験の設定に加えて、薬理学的センスで言えば用量−作用曲線を細かく取るなど。アゴニストに対する受容体の親和性が見掛け上多成分となることや、それらが条件によって変動する例を経験したからである。
  3. また、再現性と得られた実験結果に対する謙虚さも重要である。実験には必ず過誤があり、S/N比や測定精度の低さによる単なるバラツキか、隠れている真理であるかを見極める注意力が必要となる。実験結果の再現性を問われた時に、何勝何敗と答えることは全くナンセンスで、議論すべきはポジティブとネガティブであった実験条件の差異にある。条件が全く同じでバラツキがある時は、サイエンス以前の問題であろう。
 

最後に、サイエンスに対する満足度とその成果の扱い方・波及効果は、研究者としての成長段階と立場から微妙に異なることを付け加えたい。これは、研究成果が個人あるいは集団(研究グループ、大学、さらには科学立国としての日本社会)のどのレベルに対して如何に還元され得るか、という問題にも思える。研究者個人の知的興奮と欲求を妨げてはならないが、自己が満足できた研究成果でありながら、結果的にはプラスばかりでなく別のレベルにマイナスの影響を与えてしまう可能性について、若い時期には中々判断し難いのである。全ての構成員がハッピーに、そして日本の国益にとっても損にならないようオーガナイズすることが、それぞれの立場の指導者に課せられた責務なのであろう。サイエンスが貴族による趣味の世界であった昔と異なり、国立大学が独立法人化され、競争的外部資金の導入や研究目的の説明責任が問われる昨今では、上記の視点も無視できない重要な要素と痛感している。

なお、このサイエンスエッセイは、日本薬理学会雑誌 94:458-459 (2003)に掲載された原稿の初稿を、2011年4月現在として加筆修正したものである。